香りのエピソード

香りのエピソード

人類に歴史・文化があるように、もちろん香りにも歴史や文化があります。 今、私たちが触れている香文化が、いつどのように育まれ、愛されてきたのか、その奥深さを覗いてみませんか?

太古のエピソードANCIENT HUMAN

太古のエピソード

人類が香りと出会った瞬間火の使用による香りとの出会い

人類は、火を手に入れることによって、香りと出逢ったと考えられます。
香(香料、香水、芳香)を示す英語「Perfume」が「Per(throught)+fume(煙)」、すなわち煙を通してという意味であることからも、人が良い香りに接した最初の方法が芳香物質に偶然火を点けることであったと想像できます。

100万年以上も遡った遥かなる太古、大自然から火を得た人類の先祖たちは、貴重な火の持続のため、草木を集めて燃やし続けました。 あるとき突然、炎の中から煙と共に立ち上る芳香。火にくべられた何かが発する未知の香りに、驚嘆の声が響きます。その香りは、人の神経を研ぎ澄まし、魂をゆさぶり、時として鎮静とやすらぎを、時としては陶酔とときめきをもたらしました。人類は人知を超えるその香りに、神秘の力を感じたに違いありません。現に、香りは祈りと一体になり、当初より宗教的な儀式に結びついて使用されていたと考えられています。 それでは、今、あなたが聞く香りたちが、どのように使われ、愛され、貴ばれてきたのか、歴史をちょっと覗いてみましょう。人類の歴史を遡ると、「香りの歴史は人間の文化の歴史」と言っても良いほど、そこには必ず「香り」があるのです。

古代エジプトのエピソードANCIENT EGYPT

古代エジプトのエピソード

ミイラの語源は芳香物質にある?

古くから薫香料や医薬品として使われていた芳香物質である没薬(もつやく)は、ミイラ作りに欠かせないものでした。ミイラは内臓を取り出した腹腔に、没薬を中心に桂皮などの香料を詰めて作ったといいます。 「ミイラ」の語源は、没薬を意味する「ミルラ」に由来するといわれています。

ツタンカーメン王の墓から

ツタンカーメン王の墓からは陶器製の香料壜(壺)が多数発掘され、その蓋を取ると良い香りがしたそうです。およそ3000年も前の香りというわけで、確認された香料は乳香と没薬であったと伝えられています。

香りを重用したクレオパトラ

クレオパトラは、バラの香水風呂に入った後、身体中に念入りに香油をふりかけていたといわれます。また、バラの花に東洋から運ばせたスパイスをブレンドしたものを身近に置いて、その香りを楽しんだともいわれており、これがポプリの初めかもしれません。

古代ギリシャのエピソードANCIENT GREECE

古代ギリシャのエピソード

香料ブーム到来。
衣服・身体・食べ物・飲み物・風呂・飼っている犬や馬にまで香料を!?

ギリシャ文明が絶頂期に達すると、香料の熱狂的ブームが起こります。衣服や身体にたきしめるなどはごくあたりまえで、身体の部分部分に、違った香料を擦り込んでいたといいます。また、ワインに没薬を入れるなど食べ物や飲物に香料を使ったとされ、風呂に香料を入れ、さらには飼っている犬や馬にも香料を擦りつけていたといいます。

古代ローマのエピソードANCIENT ROME

古代ローマのエピソード

皇帝ネロ 香りのシャワー?

ローマにおいても香料は非常に珍重され、また大量に使用されたようです。特に皇帝ネロは派手好きで、宮殿の食堂の壁に、客に香油を振りかけるためのシャワーの様な管を仕掛けたともいい、香りの強い花が振り撒かれる仕掛けもあったといいます。さらに宴会のときには、香油をたっぷり付けた鳥を飛ばして、香りが部屋中に満ちるようにしたなどとも伝えられています。

古代アラビアのエピソードANCIENT ARABIA

古代アラビアのエピソード

アルコールの発明から生まれた「香水」

ローマ帝国の滅亡とともに、香料の中心は、東方のアラビア人に移り、アラビア人の手によって、香りの歴史を語るうえで最も画期的で且つ重要な発明がなされます。それはアルコールの発明と、アルコールを利用して作られた液体の香り(香水の原型)の発明です。やがてヨーロッパの香水文化とつながってゆきます。

近世ヨーロッパのエピソードEARLY MODERN EUROPE

近世ヨーロッパのエピソード

エリザベスⅠ世、マリー・アントワネット、ナポレオンなどにも愛された香水

16世紀イギリスのエリザベスⅠ世、フランスのポンパドール夫人、王妃マリー・アントワネット、あるいはナポレオンとその妻ジョセフィーヌなど多くの名前が、香水・香料をめぐるエピソードとともに残されています。18世紀には、ドイツのケルンに住むイタリア人ポール・フェミナスが、行商人から受け継いだ芳香水の調法をもとに、化粧水「オーデコロン」を作り大成功をおさめます。こうした経緯を経て、今日のヨーロッパの香水を中心とした香り文化の形成に至るのです。

インド・中国のエピソードINDIA・CHINA

インド・中国のエピソード

インドを起源に仏教と香は中国へ

インドは世界の香料産地と称されるほど香料の種類に恵まれており、香料は生活の隅々にまで浸透し、暑熱による臭気を防ぐために香をたき、あるいは香粉や香膏を身体に塗抹したともいいます。その後、仏教と共に香りの文化も本格的に中国に移入され、シルクロードや海路(海のシルクロード)を経て、香料はインドのみならずペルシャからももたらされるようになります。しかし中国では、インドのように一般の大衆が香りを生活に取り入れるまでには至らず、貴族や上流支配階級が供香の儀式や香粧品として使用される貴重品でした。

日本のエピソードJAPAN

日本のエピソード

流木から芳香が立ち上る・・・

推古三年(595年)、淡路島に漂着した一本の流木。島人が火にくべましたところ、喩えようのない芳香が立ち上り、島人は驚愕します。その流木は都へと運ばれ、推古女帝に献上されました。そのとき摂政だった聖徳太子が、これは稀有の至宝「沈香」であると教えたそうです。(「日本書紀」より)これが我国最古の香木の記述ですが、香木や香はそれより以前に中国から日本へと伝えられていました。仏教と共に「祈りの香」として伝わり、広まってゆきます。

平安時代 「祈りの香り」は「雅の香り」へ

中国から仏教と共に伝えられた「祈りの香り」は、時を経て平安朝の貴族たちによって生活文化の香りとなり、「雅の香り」となりました。仏前に供えるだけでなく、部屋にたき込めたり(空薫)衣装にたきしめたりと、香りそのものを楽しむようになったのです。さらに、季節の様々な事象などをテーマに、香木香料をミックスして独自の香りを創造し、その優劣を競う「薫物合わせ」という香遊びもおこなわれるようになりました。香は、平安貴族たちの知性感性のかたちであり、自己の美意識の表現、または貴重な香料を入手できる身分であるという証にもなっていったのです。こうした香のある平安朝の雅な有り様については、「源氏物語」や「枕草子」などからも知ることができます。

香道

「香道」

今からおよそ500年前の東山文化の時代、一定の作法に従って香を鑑賞する「香道」が成立しました。東山時代は応仁の乱から戦国時代に至るときで、世情騒然として心も落ち着かない時代ですが、文化としては日本独自の芸道が確立してゆきます。「茶道」、「華道」、「香道」がそうです。特に「香道」は、昔の平安時代に貴族たちが優雅な生活文化として香を位置づけたことを継承し、日本人の四季への感性や文学詩歌と深く結びつけ体系化した世界に類のない香りの芸道です。

香を聞く

「香道」では、香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」と言います。
繊細な澄んだ香りが心に呼びかける・・・
そんな意味を持った素敵な言葉です。

香道は一定の作法に従って香木をたき、その香りを文学的テーマのもとで鑑賞する芸道であり、茶道、華道と共に室町時代に形づくられたものです。祈りの香として仏教と共に日本へ伝えられた香は、平安時代になると雅びな楽しみの香へと発展しました。

香は貴族たちの生活文化として欠かすことのできないものとなりました。
そして数百年を経て室町時代に「香道」として体系化されるまでになりました。
香道において、香の香りを嗅ぎ分けることを「聞く」(「利く」)といい、香道は「聞香」(ききこう、もんこう)といわれます。“香を聞く”ことは、つねに香りを嗅ぎ分けることから始まり、感覚をよびおこすことで終わります。

香を聞く方法は、香炉に小さな炭団を埋め、その上に銀葉という雲母板を置き、そこに3ミリ角ほどの小片に切った香木をのせてたき、かすかにくゆる香りを聞きます。昔の人達は「馬尾蚊足」といい表し、馬のしっぽの毛や、蚊の足のように細い香木を用いて香を楽しみました。これは、日本では産出されない貴重な香木を大切に永い間使うためにとられた手段で、そのおかげで今日でも、何千年もの間受け継がれてきた香木を楽しむことができるのです。そればかりではなく、「馬尾蚊足」程度の量の方が、たきはじめからたき終わりまでの香りの変化を楽しむことができ、多すぎたのではむしろ、この変化を味わうのが難しくなるといわれています。感性豊かな日本人は「香り」で日本の詩情豊かな四季折々のイメージを作り上げ、また美しい日本の名所・旧蹟を香りの世界に託して表現しました。
「香道」の所作は“静”ですが、その優雅な静かさの中には、千年余にわたる歴史の重みと、非常に高度な感性が秘められています。人間の五感のなかでも、嗅覚を主役にした「香道」は、まさに日本人ならではの繊細な感性が生み出したものといえるでしょう。

お線香の製造と香遊びの発展

江戸時代初期、寛文年間に国内で初めてお線香が製造されます。一方、香道では、二種類以上の香木沈香の微妙な香りの差異を組み合わせ、香りによって一つの文学的なストーリーを組み立てる「組香」が発展。また競馬香や宇治山香その他「盤物」と呼ばれるゲーム的要素の加わった香遊びも香道の中のひとつです。

西と東の香り4000年目の出会い

古代インドから東へ伝えられた香の文化は、仏教と共に日本へ渡りお線香、お香の文化を創りました。一方、西へ渡った香の文化は、香油、香水と、液体の香りの文化を発展させました。西と東の香りの文化が4000年目に、再び出会いました。それは19世紀後半、明治時代の日本でした。

文明開化の日本へ西洋の文物が多く入ってきた中に香水がありました。お線香作りの若者が、香水の香りに魅了され、その香りをお線香づくりの技術でお香に創造しました。日本のお香にはなかったフローラルな芳香のお香です。その代表が「香水香花の花」であり、日本の現代のお香の礎として100年近くのベストセラーとなっています。

香りの時代へ

香りの時代へ

現代では、日本の伝統のお香は、世界の香り文化のトレンドの中にあります。伝統の継承と最新の技術から次々と創造される現代のお香は、ヒーリング、リラクゼーション、癒しに応える香りとして認識されています。「香りの効用」も科学的に深く研究されています。今では、効用を知った上で、梅雨の時期の防臭に使用したり、ライフスタイルを形成する自己表現のひとつとして使用したり、精神の安定やストレス解消などの自己コントロールに使用したりと、香りは現代の上質な暮らしに欠かせないものとして広まっています。