母の日参りとは
ゴールデンウィークから母の日にかけての季節に、
亡くなられたお母さんの墓前を訪ねたり、
ご自宅のお仏壇にカーネーション等のお花を
供えたりする『母の日参り』の 習慣が
広がりを見せています。
今年の「母の日」には、
お母さんの好きだったお花・好物を持って、
在りし日に想いを馳せながら、
改めて感謝の気持ちを伝えに行きませんか。
ゴールデンウィークから母の日にかけての季節に、
亡くなられたお母さんの墓前を訪ねたり、
ご自宅のお仏壇にカーネーション等のお花を
供えたりする『母の日参り』の 習慣が
広がりを見せています。
今年の「母の日」には、
お母さんの好きだったお花・好物を持って、
在りし日に想いを馳せながら、
改めて感謝の気持ちを伝えに行きませんか。
母親への日頃の感謝を表す日として親しまれている「母の日」。
この記念日は20世紀初頭のアメリカで生まれたものだそうです。
きっかけは、当時フィラデルフィアに住む、母親想いの女性、アンナ・ジャービスでした。
彼女の母親は南北戦争中に傷ついた両軍の兵士たちを救援・看護し続けた献身の人であり、1905年5月に他界。アンナは敬愛してやまない亡き母を偲ぶ日々の中で、世の母親に感謝を表す記念日づくりを思いたちます。
彼女の構想に共鳴した周囲の助力もあり、1908年5月10日、アンナの母が長年教鞭をとっていたウェストバージニア州グラフトンの教会で「母の日」を祝う会が催され、アンナは母が好きだった白いカーネーションの花を祭壇に捧げました。
この時が公的な最初の「母の日」といわれます。
「母の日」は、亡き母を偲ぶ
一人の女性の想いからはじまりました
「白いカーネーション」は亡きお母さんへのお供え物として縁の深いお花ですが、母の日参りのお供え物は必ずしも「白いカーネーション」である必要はありません。
お母さんの好きだったお花、好きだった食べ物など、お母さんへの想いや感謝を込めたものであれば、どのようなお供え物でも問題はありません。
普段なかなか言葉にできない
「ありがとう」の気持ちを香りに託して、
お母さんに届けませんか。
瑞々しいお花の香りのお線香は、
懐かしい日々を想い、
大切な人を偲ぶひと時を
そっと優しく包み込んでくれます。
4つのお花の香りのお線香と淡く美しい花々(アレンジメントフラワー)を詰め合わせたギフトです。
アレンジメントフラワーは水替えなどのお手入れがいらず、美しい状態を長くキープでき、スタンド型のフレーム入りで写真立てのように飾れます。
清々しくも上品な甘い香りをもつ白梅そのものの香り
華やぎを感じさせる、芳醇なホワイトローズそのものの香り
みずみずしく爽やかな、ラベンダーそのものの香り
爽やかで明るい花橘そのものの香り
こちらのテレビCMは、2018年に開催された「母の日参り」手紙コンクールにご応募いただいた作品を原案としております。
原案となったお手紙の内容はこちら。
「だご汁ば作って待っとるけん」の電話に愛想なく返事したのが心残りです。
突然逝ってしまったけん、実感がわかんでお葬式でも泣けんかったよ。
専業主婦のお母さんば少し軽蔑しとったけど、葬儀場に入りきれんくらいの人がお別れに来てくれて「お母さん凄かな」って思ったよ。
3年たった今も、姉ちゃんが出かける先々で「お母さんにはほんなこてお世話になったとよ」って声ば掛けられるんだって。
私が20歳のとき「あんたば産んどって良かったあ」って言ったの覚えとる?
たいぎゃ嬉しかったよ。
兄妹、歳が近かったけん、産むのばためらったとでしょ?
お店も何もない阿蘇山のふもとで乳飲み子ば育てるのは大変だったよね。
座ってるとこ見たことなかもん。
お母さんの高菜漬けが食べたい。
すっぱい梅干しが食べたい。
温かいだご汁が食べたいです。
鏡に写る私はお母さんにソックリ。
「ありがとう」をいくら積み重ねても感謝しきれんばってん、自分より相手を思いやるお母さんのようになることが、命を受け継いだ私の使命と思っています。
今度、お母さんお父さんに会いにお墓参りに帰るけん。
母さん、憶えてますか。
あのとき、母さんはとうに90歳を超えていましたね。
母さんは腰を痛めて、ほとんど寝たきりになり、そして認知症にもなっていました。
我が子の名前も忘れ、片言の話はできても、すぐに忘れちゃうんですよね。
「きょうは何日だっけ?」と何度も聞くわけです。
何度答えても、悲しいほど記憶に残りませんでした。それを承知で、母さんを車に乗せて、満開の桜を見に行きましたね。
「ほら、母さん、北小学校の桜だよ」ゆっくり走る車の中から、母さんは桜を見て、「きれいだねえ。北小の桜を見るの、何年振りかねえ」と言ったのです。
その3日後、母さんに会ったとき、ちょうど窓の外では、何枚もの桜の花びらが風に流され空に舞っていました。
それを見ていた母さんはぼそっとつぶやいたんですよ。
「あっ、思い出した。光生に連れられて車の中から見た北小の桜、きれいだったねえ」
涙がこぼれました。小さな奇跡でした。
そのとき、母さんから教えられましたよ。生きるっていうことは大変だけど、すばらしいって。
母さんが亡くなって、もう3年。今年ももうすぐ桜が咲きますよ、母さん。