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第一章
 日本の命運をかけた日露戦争。
 明治三十八年、堺の町のひとりの若者の帰還から、この物語は始まる。

 今世紀初頭、日本という国の命運を決める日露戦争は、奇跡とも呼べる勝利に終わったが、旅順・奉天と、失われた若い生命はあまりにも多かった。
 当時、戦地の弟を想い「ああ弟よ、君死に給うことなかれ」と歌った女流歌人「与謝野晶子」は堺の生まれ育ちだが、その町に一人の若者が還ってきた。名を鬼頭勇治郎という。



 多くの戦友たちの死を目の前に、生死の境紙一重の激戦をくぐり生き延び、曹長となって復員した。明治38年の暮れであった。戦勝の祝賀の時も去り、人々の暮らしは変わることなく貧しさは貧しさへと戻った。
 勇治郎は一台の大八車を買った。それにお線香を積んだ。堺はその歴史からも薫香を商う老舗も多い。若者は仕入れたお線香を、行ける限りの遠方まで売り歩き夕闇の中を空の車を引いて戻ってくる。
 車を引く一歩一歩に自分が生きていることを噛みしめつつ、一把のお線香にも祈りをこめて手渡した。




第二章
 独特の発想と行動力が時代の潮流を促え、多くの人々の心を魅了する。

 勇治郎は、やがて自ら線香造りを始め、これを生涯の仕事と定めて「天薫堂」と名乗った。「天が与えてくれた薫りを生きる喜びとしたい」と願う。そして天からの啓示のように香りへの想を得て、思いをこめて練り上げ、これまでにないお線香を創り上げた。火をつけ、くゆらせる。ゆるやかに立ちのぼる透明感のある煙と共に漂う、心安らぐ芳香。
 香りに心身をゆだねると、深い想いが心に広がり、やがて爽やかな気持ちへとたどり着く。



 勇治郎は自分の仕事を確信した。「誰にも真似のできない佳い香り」という言葉が自然に浮かんできた。このお線香こそ、日々を元気に生きてゆく心の糧として毎日使ってもらいたいと思った。  そして『毎日香』と名付けた。明治42年のことである。




第三章  
 明治・大正・昭和・平成四つの時代を生き、
 日本中の家庭で愛されている毎日香。

 ここから今日まで90年に及ぶ「毎日香」の物語が始まる。
 鬼頭勇治郎は、家業を受け継いだわけではなく、自らの意志で天職として薫香業を始めた。そしてこれまでのどの老舗にもなかったお線香を創り上げた。この「毎日香」を、現代の日本を代表する調香師が分析研究した。勇治郎の独創性溢れる見事な調香に驚嘆し、「これは天才の仕事だ」という。信念と努力、感動とひらめきをエネルギーとして力強く前進する。それは疾走であった。
 「毎日香」の評価は高く、いつしか家々の仏壇に置かれている。朝の家並みに「毎日香」の香りがどこからともなく流れ一日が始まり、その香りは夕暮れの軒に漂い安らかな一日が終わろうとする。



 そして現在、「毎日香」は黄箱を中心に、お線香のトップブランドとして数々のニーズに応えながら商品群を形成する。現在「毎日香」と言えば、お線香を使っていない人々も知っている。その認知は、100人中、常に90人以上を超えている。

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